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平成14年 2月18日 昨日やっと大塚氏のドキュメントのビデオを全篇見ることができましたじゃ。 仕事しながらダビングしつつ見たので結構大変でした。モニターを見ると素晴らしい作画、手元を見ると情けない原画。う〜〜〜〜ん。 しかし好奇心や行動力も絵描きの才能のうち、ということですかね。 ところでもう昨日になってしまいましたが、東京都のアニメのイベントやってましたね。新世紀東京アニメフェア21。噂はかねがね聞いていたのですが先日、テレビを見ていると番組と番組の間の5分くらいの番組にりんたろう氏が出ていて終わりに「新世紀東京アニメフェア21」とかテロップが出たので早速ネットで検索してみると一発で見つかりました。 私は直接その報道は知らないのですがなんでも石原都知事の肝煎りだそうで「アニメは誇るべき文化だから云々」若しくは「アニメを産業として育成して云々」という趣旨だそうでそれはそれで結構なことなのですが、しかし一体それを最前線の塹壕にいる我々は、どうとらえたらいいのでしょう。 その「アニメは誇るべき文化だから」というのと「アニメを産業として育成して云々」というのは相反することでもありますね。「文化」というのはまぁ建前として、「産業育成」というのは国際競争力のある製品、ということでしょうか。しかしその内容を見てみると少々心許ないものであります。競争力ってのはまずアニメーションのコストの低さってことなんでしょうけど。 あくまで噂でありますが動画など韓国に出すより国内の方が安いとか云う話もありました。 勿論、アニメーターでも年収1千万円の人もいるのだから(テレビシリーズを一本一人で原画作監をやる人のことです)甘えてはいかん、という意見もあります。でも一本一人でやるってほんとすごいことだから私はそう云う人は1千万などといわず1億でももらって欲しいものだと思っているのですが。 アニメーションがヒットすると儲かるらしい、ってことでアニメ制作に参入してくる業界がなにに注目しているのかと云えば、版権=キャラクター商品の売り上げなわけで、それはそれで正当なことなんでしょうが、問題なのは、じゃぁそういう作品がいい作品なの?ってことですよね。「文化」と「産業」が相反するという意味がそれなのですが。 要するに『ポケモン』が優れたアニメーションなのかって事です。 仕事でやる以上、作品も商品。売れてこそってのは(たとえ実際はそのほとんどがたいして売れやしないとしても)理解しますが、商品の内実を問わずに手っ取り早く金になるキャラクターのみに力を入れてもそれは所詮魚を根こそぎ獲ってしまうようなもの。いずれ枯渇するのではないでしょうか。そこで建前の「文化」っつーのが生きてくる筈なんですけどね。それが漁獲量の制限なのか養殖増殖なのかはわかりませんが。 もっともお客さんが私が思っている以上に愚かであるのなら話は別なんですけど。飽くことなく与えられたキャラクターを求め続ける、みたいな。なんとなくそんな気配もしなくもないのですが。 それで、そうした状況の中、自治体がわざわざ名前まで出してイベントやったわけなんですけど、じゃぁ自治体、というか政府でもいいんだけど、それらはアニメーションに対してどうすべきなんでしょうかね。補助金を出すってのもなんか違う気がするし、行政指導で制作費を上げさせる?う〜〜〜〜〜ん。そう云うことは親方に一肌脱いでもらうことではないんでしょうけど。自分たちの問題は自分たちでなんとかしなきゃならん筈ですからね。ってことはストライキか。 そう云えば、数年前にあるスタジオに入って仕事をしていたときに若い制作の子がスーツにネクタイ姿でいたんで、驚いて理由を聞いてみたところ「(3D)CGをつくると2億円の助成金が出るそうなのでその説明を聞きに専務と通産省まで行って来ました。」とのこと。その会社がそれまで一度も3Dをつくったことがなかったというのは笑い話として、お上にお金まで出してもらってどうする、と思ったのですが。 でもその後CG屋さんを「未来を担うクリエーター」とかマスメディアが喧伝しだして、俺達ゃなんなんだろうなぁとか悩みました。今でも悩んでいます。「過去も未来も現在すら担わないクリエーター」ってとこですかね。ところで私はクリエーターって言葉、嫌いです。創造なんて幻想か、商品の名前だと思うからです。実際ものをつくるって、クリエイトよりもカタルシスって感じに近いですからね。 3Dと云えば以前、坂口なんとかって人が映画のファイナルファンタジーのインタビューで「アニメでは自分のやりたいことが表現できない」という意味のことを語っていましたが、3Dってアニメーションではないって認識なんですね。そりゃぁ、モーションキャプチャーとかやってりゃぁ、アニメーションじゃないんだけど、でも3Dの人って、モーションキャプチャーをやることに、罪悪感とか後ろめたさとか無いんですかね。それとも生身の人間じゃぁキャラクター商品にはならないって事なのかな。 アニメーションって事に関してもう一つ。「彼女と彼女の猫」の人の新作が小劇場で公開されているという話を聞きました。スポンサーがついているそうでまぁそれは羨ましくも思いますがそのスポンサーというのが「マンガズー」だそうで(いや、これは話をしてくれた人も記憶が明確ではないということなので実際そうなのかはわかりませんが)だとしたら私だったらお断りしますね。なぜなら「マンガズー」が実際どういう団体なのかその内実はわかりませんが少なくとも、というかこの一点が極めて重要なのですが「マンガ」を名乗りつつもアニメーションで商売してるところに金出してもらうなんて道理に反するからです。いや、そのことに関して「マンガズー」に悪意などはないのでしょう。ただ、「マンガ」と「アニメーション」の区別ができないだけで。(いや、ひょっとしたらその違いなどは先刻承知、でも「アニメーション」って「マンガ」に従属してるんじゃないの?ってとこなのかなぁ。どっちにしろおんなじか) 「マンガ」と「アニメーション」が本質的に異なるものだということはちょっと考えれば誰にだってわかることの筈なんですけど、それを理解する人が少ないというのは困ったものです。例えば映画は小説の原作が多い訳なんですけどだからといって映画と小説を一緒くたに語る人はいないわけで、要するにそう云うことなんですけど「マンガ」と「アニメーション」の場合、単純に区別されていないというだけでなく、その違いがわからないと云う人は「アニメーション」が「マンガ」に植民地支配されているこの現況を承認しているということになります。「へぇ、アニメーションやってるの?あれってあたると儲かるんだよね」という人のことです。 また、「アニメーション」を「支配」しているのは「マンガ」や出版社だけでなく近頃はゲーム会社や音楽会社と増えてきています。もしアニメーションを「産業として振興する」事がそう云うことだとしたら・・・。 だから私は、「マンガ」と「アニメーション」の区別ができない人を信用しないのです。アニメ原理主義。 「マンガ」が「アニメーション」を植民地支配しているというのは言い過ぎだ、という人もいるでしょう。しかし、ある人に私が「なんかいい仕事ないかなぁ」といったら彼は「同人作家で自分の作品をアニメにしたがっている人が結構いる。そう云う仕事をしたらどうだろう。」ということを云いました。その感性こそ奴隷を前にした主人のものではありませんか。(そういやぁあのエロマンガ家もそうだったな)それを植民地支配といわずに一体なんと云えばよいのでしょうか。 |