| この作品はもうこんなに前の作品ですか。実はこの頃と今とで、生活はほとんど変わってなかったりもするんですけどね。学校に行くのが仕事になっただけで。ただ、学校は毎日行きませんでしたが仕事は毎日してます。 大学に入って、遊映研に入って、なにかつくらなきゃ、と思って習作として夏休みにつくった作品です。夏休み一杯作画に使おうとして試験中にコンテを書きました(笑)これ以前には高校の後輩(千葉市立稲毛高校文芸部)が私が卒業してから春頃の文化祭に向けてアニメーション制作を始めたのでそこで上映する為につくった三百枚の作品と、遊映研の先輩がつくった作品の手伝いをちょっとやっただけで、実質的には最初につくった作品です。 只、絵を動かす、それ自体を目的につくった作品で1K打ちを基本に作画をしました。内容はありません。 で、今見たらどうか、ということなんですけど、それらを差し引いた上でなおかつ、というかそれ故にというか、ただ恥ずかしいのみで最早人に見せるべき作品ではないし見せられるべき作品でもないと思います。作り始めた者に特有の熱情もあまり感じられませんね。決して過去の美しい思い出ではありません。 今考えると、気合いを入れてつくったと言うよりも淡々とつくっていた記憶があります。その中でも印象に残っているのは夏休み中、家にこもりっぱなしで作画をして、体重が5Kg減ってしまって、秋になったら(酒を覚えたせいか)逆に10Kg増えてしまったと言うことと、ふと気がついたら目を覚ました、という経験を初めてしたことですかね。 そんな恥ずかしい作品ではありますがちょっと絵をあげておきました。この作品の教訓はこの程度の力でも、枚数をかければ同レベルの人に対しては、はったりが効く作品をつくることができるし、この程度の素質でも、その後、今の私程度の絵は描けるようになると云うことですかね。だから今の若い人にもなにはなくとも枚数だけはかけて欲しいものですが。 そんな中でも特筆すべきは、当時高校2年生で17歳(確か2月生まれと言っていたからひょっとしたら16歳だったかも)長谷川亮一ですね。今、見直してもひょっとして現在の私よりもうまいんじゃないの、というくらいの作画をしております。彼とはその後3年ほど一緒に作品をつくったり遊映研の活動をしたりしてましたが『星に願いを』制作中に袂を分かって以来それっきりです。一つ前の頁に彼の絵もあげておきましたが一部著作権に触れる疑いがあるためモザイク処理をしております。 撮影も訳も分からずやりました。参考書なども目を通しましたがよくわからないので何度かテストをして一番良い環境で行うことにしました。当時の撮影環境は私が遊映研に入ってから千葉のガード下のカメラ屋で買ったカメラELMO612XLを三脚に固定して下を向かせて三脚自体はガムテープで卓袱台に貼りつけてライトは高校の先輩から借りた50W×2でした。早稲田の『EVERGREEN』では500W×4 とか云ってました(笑)この環境は『星に願いを』予告第4部の前にLPLのコピースタンドを買うまで続けました。そのコピースタンドで300W×2灯を使って初めて、撮影は暑いものだということを知りました。 撮影には作画を手伝ってくれた高校の後輩がその友達を連れてきたりして、それでこの作品にはこんなにスタッフが多いのです。スタッフにあげた伊藤さんと君島さんはビデオで確認したらフレームから切れてしまって確認できず名前も思い出せないので苗字のみで失礼します。でも今は変わっているんでしょうね、きっと。 |